第1章 序説: ビクトリア時代の庭園


第1章 序説 Introduction


ఔ ビクトリア時代の庭園 THE VICTORIAN GARDEN ఔ 


 ビクトリア時代の人々にはちょっとありがたいようなありがたくないような天運がありました。ビクトリア女王の意思、あえて言わせてもらえば偏見は、社会に深い影響を及ぼし、国民生活のあらゆる場面に影響を与え、ガーデニングも例外ではありませんでした。そして驚くべきことに、その影響は今日まで続いているのです。

 現代の私たちからみたら非人道的としか思えない当時の労働者たちの生活状態にも関わらず、女王は「著しく道徳的」でありました。そのため、女王から先導される形で、「おしゃれな人々」は自分たちの繊細な感受性を「ありふれた日常」のものによって汚されないためには、どんなこともしかねない状況になっていたのです。

 例えばガーデナーたちが樽一杯の肥料を運ぶのを地主の屋敷の窓から見えないようにするために、わざわざ1キロ近くも遠回りをさせられたりしたのも、ごく普通のことだったのです。不運にも女主人がそのような不快な光景に目をとめるようなことがあれば、即座に気が滅入ってしまうことでしょう。

 屋敷の中からビートルートやレタスのような野菜が見えることをただ想像するだけでも、上品に育てられた若い女性にとってはとても品格が下がるように思われたのです。そういうわけで、野菜畑は周りから見えない高い塀の裏に消えていったのです。そして、これが野菜と花を分離することの始まりとなり、今日まで続いてきているのです。

 まあ、私たちの多くがジャガイモを見て青ざめたり、本物の動物の糞尿の臭いで気絶したりはしないだろうと思います。野菜から花を隔離する必要などないし、一緒に植えることで育ちも良くなるだだろうし、私はそのほうが美しいと思うのです。

 ある点では、私はビクトリア時代の人々のすべてを許すこともできます。まず最初に、彼らは私たちに心を揺さぶる庭園を残してくれています。貧富の大きな差のため、労働者全員の1年分の給料を1日で稼いでしまうような雇い主もいて、労働力の単価はとても安かったのです。賃金の支払いは高額となりましたが、彼らは世界で最もすばらしい庭園をいくつも遺産として残しました。そして、彼らが作りあげたスタイルの中に、「ロマンチックな」コテージガーデンがありました。これはコテージに実際に住んで、もっぱら実用的に食料生産をしている人々の庭とはまったく関係のないものでした。チョコレートの箱に描かれたビクトリア時代の庭園は、裕福な階級の人々がコテージガーデンはこうあるべきだと想像していたものに他ならないのです。しかし、これは現代の小さな邸宅に庭をつくるのには、何とすばらしい方法でしょう。実際には注文仕立てではなかったのですが、そうありえたでしょう。果樹や野菜を加える必要があるのは当然ですが、その根本の原理は完璧です。




 ビクトリア時代の人たちは建物だけでなく庭園にも大いに気を遣いました。実際、多くの人はあまりに凝りすぎているというでしょう。本当に注意しないといけません。すなわち、現代の建築物は基本的にシンプルですので、過度に装飾されたビクトリア時代のスタイルは完全に場違いに見えてしまうのです。

 もちろん、大半は個人の好み次第ですが、私にとっては広大な馬鹿げた舗装などは、ビクトリア時代の人たちには好まれましたが、現代の家の庭では嫌われ者です。彼らが愛した上品を気取った野暮なトレリスも同様です。よく吟味して採用しなくてはいけませんが、この時代から学ぶことがたくさんあるのも事実です。

 例えば、レンガでの舗装はいかにもビクトリア様式ですが、最近とみに人気がでてきています。レンガは合わせやすく、敷くのも容易で(54ページ参照)、現代の庭園にも似合うため、私もよく使っています。そして私のバラの東屋の下にあるレンガ舗装の八角形の中心に、ビクトリア時代の最も有名な建築家であるEdxin Lutyensに由来するアイデアを用いました。それはSomersetにあるHestercombe Houseにあり、Barnsdaleの私の庭に同じものをつくりました。それは八角形の中心にある複数の同心円からなり、大きさの異なる丸い植木鉢を大きい鉢の中に小さい鉢をいれていくことで作っていて、シンプルですが、とても効果的で、典型的なビクトリア時代風のものです。



 ビクトリア時代の人々はその驚くべき発明精神もまた、褒めたたえられるべきです。ちょうど現代の科学者たちがいつもびっくりするようなエレクトロニクスの発明で私たちを驚かせるように、彼らは機械工学への新しい熱狂へみずから進んでいったのでした。彼らが何を求めたにしろ、そのための機械をつくる必要があって、その発明の一部は今でもインスピレーションの源となっています。さらに、彼らが何か作るときにはいつも美しく作ったのです。ビクトリア時代のコンサバトリーの鉄細工と現代の機能的なアルミ製の構造と比較しみて下さい。繊細な装飾をほどこした錬鉄製の車輪をもつ古い手押し一輪車に目をやってみて下さい。その時代のランタン型ガラスおおいと、現代に私たちが手に入るものと比べてみて下さい。それらはすべて芸術作品だったし、庭園ではそれらはそうであるべきなのです。

 私が最初に美しい菜園を始めたとき、ガラスおおいは私にはとても苦痛の種でした。そこそこ感じよく見えるようなものが全然手に入らなかったし、小さな庭では目障りなものなしで問題なかったのです。結局私は硬いプラスチックを使って自作しました(74ページ参照)。もちろんそれはビクトリア時代のものには比較になりませんが、少なくとも汗をかかせることはなさそうです。



 19世紀は石炭は安くて豊富にあったため、暖房した温床や温室は一般的でした。ブドウ、イチジク、メロンに加えて、バナナやパイナップルなどエキゾチックな果実を栽培するのも、当時のガーデナーには何でもないことでした。現代ではバナナを栽培できるような余裕のあるガーデナーはあまり多くないでしょうが、ビクトリア時代の人々の暖房した温床にかけた情熱を見習うことはできるでしょう。それは一年中役に立ちますし、ビクトリア時代の方法でやれば大変安くできるでしょう。

 石炭のほかにも、老猾なガーデナーなら当時は一般的だった再生可能なエネルギー源からも安く熱を発生させるでしょう。それは馬糞です。そして奇妙なことに、それは私たちにはより容易に利用できるようなものになってきています。最近ではポニーを飼う少年が何十万人もいて、裏庭には増え続ける馬糞の山が築かれています。道端に馬糞を安く分けますというような広告は珍しくなく、あなたの住まいの近くにもきっとそれを提供してくれる厩舎があることでしょう。試しに電話帳をめくってみると、南ロンドンには少なくとも40以上の厩舎が載っていますので、あなたがどこに住んでいてもきっと手に入るでしょう。

 もちろん、ビクトリア時代の馬糞と同じぐらい安いとは私も言いませんが、馬糞のすばらしいところは、2度役にたつという点です。

 毎年庭園には堆肥があるていど必要ですし、十分成熟した堆肥をあなたは手に入れたいと思うでしょう。しかし、半年以上積み上げておいた堆肥が売りに出されることは普通はなかなかありません。それは多くの乗馬施設ではスペースを空けるためにできるだけ早く馬糞を処分したいからです。ですから馬糞は自分の庭で積み上げるのです。そして、そうすればビクトリア時代のちゃんとした温床をつくる機会も得られるのです。

 もちろん、あの時代の温床はすばらしく複雑なレンガ造りのもので、通気口や換気装置も備わったようなものでした。しかし、あなたがパイナップルを栽培したいというのでなければ、そこまで立派なものでなくても構いません。馬糞を積み上げて、その上にフレームを載せれば、それだけでたいていの目的には十分です。その中で、寒い時期からでも早生の野菜を育てられ、その後はメロンのようなとても豪華なものも栽培して、シーズンの終わりには土壌の改良に使えるよく成熟した堆肥が得られるのです。